第一回 石神井川と桜の記憶 ― 弥生町 前編
2021年7月7日 筆者/宮本 紗衣
<話し手>
河原 健さん(79歳)
天祖神社総代、下頭橋のたもとで昭和2年より河原種子店(現:河原商店)を営む、父の河原末吉さんは上板橋青年団の一人として当時桜の植樹をされた。
森 繁さん(88歳)
天祖神社総代、旧川越街道沿い下頭橋の先で昭和20年以前より竹細工店である「森竹細工店」(現:森竹商店)を営み、主に簾や巻き簾などを製作・販売していた。
<聞き手>
宮本 紗衣
天祖神社巫女、板橋区民でもなんでもないが、父が学生時代、板橋で下宿していた。
吉原 恵芽
天祖神社研修生(元巫女)、親子三代の板橋区民。
鉄橋からの度胸試し
宮:まずお二人はそれぞれどちらにお住まいか聞いても宜しいですか?
河:森さんは……下頭橋の旧川越街道沿いですよね。
森:そうですね。
河:うちは下頭橋の角です。橋のすぐ側ですね。
宮:下頭橋のたもとにお二人ともお住まいとのことですが、つまり遊び場も川沿いだったと。
河:子どもの頃は川で遊んでました。冬はさすがにですけど。東上線の鉄橋あるじゃないですか、そこから威勢のいいのが飛び込んでました。
宮:鉄橋からですか…?
河:間々下橋からかなり深かったので……線路から飛び込んでも平気でしたね。小学生の頃だからさすがに飛び込めなかったです。魚も多かったですね。
宮:それは護岸工事前?
森:護岸工事前。岸が土で。
河:写真(『写真は語る』P48)のようなのが続いてました。この写真は環七の上流かな。とにかく綺麗だったね……桜のトンネルってこれ(『写真は語る』P76)には書いてあるけどね。戦後すぐかな。
森:私たちが泳いだのは宿橋の辺り。橋から飛び降りたりね。
河:当時は学校にプールがなかったから。泳ぎは川で覚えましたね。でもそれも小学校2、3年くらいまでかな。それからは近所にプールもでき始めたからね。
文化財シリーズ第77集 写真は語る 総集編 P48 板橋区教育委員会より
文化財シリーズ第77集 写真は語る 総集編 P76 板橋区教育委員会より
筆者補足説明:
このように、石神井川は地域の子ども達にとって、格好の遊び場であった。しかし、鉄橋から飛び降りられる東武鉄道もたまったものではなく、東武鉄道は地元に対し、子どもの遊び場となる場所を作ることを要請。昭和2年に、中板橋駅付近に石神井川の水を利用したプールが完成した。このプールは縦50㍍、幅25㍍の本格的なものであり、付近のテニスコートや遊び場も含め、「上板橋遊泉園」と称していた。
かつての広大な森を有した境内の中、鳥居とともに映る水着姿の子ども達の写真(『写真は語る』P154)が残るが、これは遊泉園に出かける前の子ども達が、安全祈願をしに立ち寄ったものだろうか。ちなみに遊泉園は東上線沿いから多くの人が訪れたため、このプールを利用する人々のための駅として、夏季のみ営業する駅が作られた。それが現在の中板橋駅の前身である。「上板橋遊泉園」は昭和10年頃まで利用されていた。
文化財シリーズ第77集 写真は語る 総集編 P154 板橋区教育委員会より
上流からの漂流物
河:川沿いは畑か田んぼ、後は牧場かな。弥生町の方までありました。
森:下頭橋の先なんか麦畑だったね。上一中は農業試験場か何かだったし。
吉:想像できないですね。
河:(上板橋~学校橋辺り)ここら辺に釣り堀もありましたね。屋外のちゃんとした大きいやつ。
宮:釣り堀の話が出ましたけど、石神井川はどんな魚がいましたか?
河:魚ならなんでもいたんじゃないかな。綺麗だったよ。
筆者補足説明:
魚は川魚であるコイ・フナ・ドジョウをはじめ、海から遡上してきたであろうスズキやセイゴも見かけたそうである。極めつけはウナギ。仕掛けをして、捕まえていたそうである。
森:藻がふさふさしてた。
河:水草が多かったですね。
河:上板橋よりも上流、練馬の方かな、染め物工場があったみたいで。
森:川でノリを流すんですね、染料が流れてきた。川全部じゃなくて半分くらい染まってた。
河:赤とか緑とかね。でも川は綺麗なんですよ。
吉:今よりもさらに綺麗だったんですね。
河:今もそこそこ綺麗だけど、護岸工事する前は、土だから雨が降るとすぐ濁ってた。
宮:ちなみに、魚って「釣り」ってことですか?
河:釣りじゃなくて手づかみ。
吉:手づかみ……。
河:魚が泳いでるのは見えましたよ。
河:30年くらい前かな、安いニシキゴイを放流してました。区が放してたのかな。川から見えるようにって。
吉:ニシキゴイですか。
河:みんな荒川に流れてっちゃいました。横穴とかがなかったから、みんな流されちゃいましたね。下流のみんなが流してくれてありがとうって。
河:そういえば水質調査もやってましたよね。
森:やってたね。定期的にやってました。
河:地元の人がやってましたね。うちの親父もやってましたし。
宮:区ではなく地元の方がやっていたと。地域の人がお世話してたんですね。
筆者補足説明:
今以上に、川は流域の人々の生活に密着していたものであり、石神井川を川沿いの人々は大切にしていたことが分かる。川には魚や水草だけでなく、上流から様々なものが流れて来たそうである。今でこそ考えられないが、犬や猫が亡くなると川に流していたらしく、夜になると、亡骸がボウっとほの暗く光るのが見えることがあり、初めて見たときは大変驚いたそうである。他にも意外なものが流れてくることがある。それは石神井川の氾濫の際に流れてくるものであるが、それはまた次回……「暴れ川・石神井川」弥生町 後編に続く──
左より、河原 健さん、吉原 恵芽、宮本 紗衣、森 繁さん
第二回:暴れ川・石神井川 ― 弥生町 後編
2021年7月7日 筆者/宮本 紗衣
<話し手>
河原 健さん(79歳)
天祖神社総代、下頭橋のたもとで昭和2年より河原種子店(現:河原商店)を営む、父の河原末吉さんは上板橋青年団の一人として当時桜の植樹をされた。
森 繁さん(88歳)
天祖神社総代、旧川越街道沿い下頭橋の先で昭和20年以前より竹細工店である「森竹細工店」(現:森竹商店)を営み、主に簾や巻き簾などを製作・販売していた。
<聞き手>
宮本 紗衣
天祖神社巫女、板橋区民でもなんでもないが、父が学生時代、板橋で下宿していた。
吉原 恵芽
天祖神社研修生(元巫女)、親子三代の板橋区民。
浸水は季節の風物詩?
河:台風でね。これ(『写真は語る』)にも出てるけど、木の橋(宿橋のこと)が流されてね。コンクリートの下頭橋にぶつかって……橋桁にヒビが入っちゃった。
森:真ん中に、橋塚って言うのかな。
河:それで2年通行止めになっちゃった。
吉:2年も!
河:それで新しく掛け直されました。下頭橋も宿橋も。コンクリートになりました。
森:宿橋はホントに全部流されちゃった。下頭橋も強度が足りなくなっちゃって、バスも車も通れなくなりました。
吉:こういうことはよくありました?
森:木の橋だったからね。よく橋は流されてた。
文化財シリーズ第77集 写真は語る 総集編 P42 板橋区教育委員会より
筆者補足説明:
川越街道が通る上坂橋と、旧川越街道が通る下頭橋の間の橋が宿橋である。当時木造であった宿橋が崩壊したのは、昭和33年9月26日に全国的に甚大な被害をもたらした狩野川台風によるものである。板橋区内では、5万人以上が被災したと言われている。この台風による洪水・河川の氾濫の被害の大きさを受け、翌年の昭和34年から石神井川の護岸工事が推し進められることとなった。
宮:毎年何かしらあった感じですか?
河:そんなことはないですけど、ここに(山崎橋~学校橋のカーブ沿い)関してはよく水が出てましたね。
宮:大雨が降ると氾濫してしまうと。
河:テレビにも残ってるけど、2階から出入りしてましたね。水が来ちゃうから。警察だか消防だかがボート出して、住まいと道路を行き来してましたよ。
吉:浸水被害ですね。
宮:水が引くのは早かったんですか?
河:引くのは早かった。でも後片付けが大変なんですよ。水が引く時に水をかけて掃除しないと、泥が残るんですよ。ここら辺に友達がいて、よく手伝わされました。一番大変なのが、当時は水洗じゃないから……汚物がすごくて。とにかく大変だったよね。
文化財シリーズ第77集 写真は語る 総集編 P44 板橋区教育委員会より
筆者補足説明:
川の氾濫というと、2015年の鬼怒川の堤防決壊が記憶に新しいのではないだろうか。しかし、石神井川の氾濫は、鉄砲水が襲ってくるといったものではなく、いわゆる床上浸水の被害であったと言う。靴屋の友人の手伝いをしたお礼に、靴を安く買わせてもらったと懐かしそうに話されていた。
第1回でも、石神井川は上流から様々なものが流れてきたことに触れたが、氾濫の際は、木材などの瓦礫の他に、なんと豚が流れてきたそうである。牧場などが点在した石神井川沿いであるが、逆に牛は大切にされていたためか、流れて来なかったという。
さくらの思い出
宮:春の記憶……桜並木やお花見などはどうでしょうか。
森:茂呂山公園でお花見していました。近所の人たち総出で、リヤカーに色んなもの乗せて。学校の写生大会も茂呂山まで行きました。今は住宅地になって、桜もないけどね。
吉:川沿いの桜も、今は中板橋の方が有名になっていますね。
河:茂呂山って出ましたけど、近くの栗原堰のところに一本橋というのがあって、そこに短いトンネルがあったんですね。そこが暗くて暗くて。上級生に、度胸試しで、無理矢理行かされました。「ほら、お前行け」って(笑)
文化財シリーズ第77集 写真は語る 総集編 P47 板橋区教育委員会より
文化財シリーズ第77集 写真は語る 総集編 P46 板橋区教育委員会より
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石神井川と桜の記憶 ― 弥生町
石神井川と桜の記憶 ― 桜川